岡田武史体制、知られざる秘話

これは岡田(おかだ)武史(たけし)氏(し)が加茂(かも)周(しゅう)監督(かんとく)の更迭(こうてつ)をうけて急遽(きゅうきょ)監督(かんとく)に抜擢(ばってき)された際(さい)、その心境(しんきょう)を岡田(おかだ)は翌日(よくじつ)のインタビューにて“ホテルがスイートルームになっただけ”と発言(はつげん)。また、後日(ごじつ)も「別に(べつに)大したこと(たいしたこと)はなかった」と答える(こたえる)などさもなんでもないようにひょうひょうと答え(こたえ)ているのが印象的(いんしょうてき)でしたね。「岡田(おかだ)武史(たけし)」っていう人物(じんぶつ)はこんな人(ひと)なのか、と。ですが、そんな裏(うら)でこんなエピソードがあったのです。岡田(おかだ)から日本(にっぽん)代表(だいひょう)のアシスタントコーチ就任(しゅうにん)の依頼(いらい)を受け(うけ)た小野剛(おのたけし)はそれを快諾(かいだく)します。そしてこのとき岡田(おかだ)は逆(ぎゃく)に「そんなに簡単(かんたん)に受け(うけ)ていいの?例え話(たとえばなし)じゃないんだぞ。もし失敗(しっぱい)してしまったら日本(にっぽん)に本当(ほんとう)にいられなくなるかもしれないんだぞ!」と叱り飛ばし(しかりとばし)たそうです。マスコミを交わし(かわし)ながら、強烈(きょうれつ)に押し寄せ(おしよせ)てくるプレッシャーと戦う(たたかう)ことになるというその覚悟(かくご)の一片(いっぺん)を見て取れ(みてとれ)ますね。また、岡田(おかだ)はあの“ジョホールバルの歓喜(かんき)”の前夜(ぜんや)にも、日本(にっぽん)にいる家族(かぞく)に電話(でんわ)をかけ、「もし負け(まけ)たら日本(にっぽん)では住め(すめ)なくなるから外国(がいこく)に移住(いじゅう)しよう」という内容(ないよう)の会話(かいわ)を夫人(ふじん)としたのだとか。何も(なにも)そこまで考える(かんがえる)こともないのでは・・・という感じ(かんじ)ですが、本人(ほんにん)にとってはそれだけの覚悟(かくご)を胸(むね)にあの大一番(おおいちばん)に臨ん(のぞん)だようですね。そして、自分自身(じぶんじしん)のみならず家族(かぞく)にまでも大きな(おおきな)プレッシャーが国民(こくみん)によって加え(くわえ)られたことにより「代表(だいひょう)監督(かんとく)は外国人(がいこくじん)に限る(かぎる)」とことあるごとに発言(はつげん)しています。ですが、同時に(どうじに)日本人(にほんじん)の良さ(よさ)を一番(いちばん)引き出せ(ひきだせ)るのは日本人(にほんじん)、という内容(ないよう)の発言(はつげん)も行っています(おこなっています)。

岡田武史

これは岡田武史氏が加茂周監督の更迭をうけて急遽監督に抜擢された際、その心境を岡田は翌日のインタビューにて“ホテルがスイートルームになっただけ”と発言。

岡田武史