岡田武史が掲げる指導理念とは

過去(かこ)に監督(かんとく)として様々(さまざま)な偉業(いぎょう)を成し遂げ(なしとげ)てきた岡田(おかだ)武史(たけし)氏(し)ですが、その監督(かんとく)としての指導(しどう)理念(りねん)というものが気になり(きになり)ます。岡田(おかだ)武史(たけし)の指導者(しどうしゃ)としての理念(りねん)・・・彼(かれ)はインタビューでそれについて問われ(とわれ)た際(さい)に「信賞必罰(しんしょうひつばつ)と公平(こうへい)」に尽きる(つきる)と答え(こたえ)ています。良い(よい)ときはほめて悪い(わるい)ときは叱る(しかる)。これをサッカーに置き換える(おきかえる)と、悪い(わるい)プレー・覇気(はき)のないプレーや練習(れんしゅう)姿勢(しせい)を見せ(みせ)たときには素直(すなお)にほめる、逆(ぎゃく)の場合(ばあい)は叱る(しかる)ということでしょうかね。そして大事(だいじ)なのはそれを誰(だれ)に対(たい)してもフェアに行う(おこなう)こと。これは代表(だいひょう)を預かっ(あずかっ)たときも同じ(おなじ)だそうです。確かに(たしかに)接し(せっし)方(かた)が選手(せんしゅ)によって変わる(かわる)ことはかなりまずいことですよね。岡田(おかだ)氏(し)も、「どんな選手(せんしゅ)であっても、監督(かんとく)が自分(じぶん)のことをどう考え(かんがえ)ているかは実に(じつに)敏感(びんかん)に察知(さっち)している」ということを感じ取っ(かんじとっ)ているようです。特に(とくに)、人生(じんせい)がかかるといっても過言(かごん)ではない代表(だいひょう)などだと、そういった状況(じょうきょう)では、監督(かんとく)自身(じしん)が自分(じぶん)をさらけだしていって正面(しょうめん)からぶつかっていくしかないのだ、と。だが、そうしたとしても、チーム全員(ぜんいん)から監督(かんとく)が大好き(だいすき)で深く(ふかく)信頼(しんらい)を受ける(うける)ということはあるわけないし、選手(せんしゅ)同士(どうし)にしたって、どうしても合わ(あわ)ない者(もの)がいる、とも言っ(ともいっ)ています。そかし、この場合(ばあい)にいつも岡田(おかだ)氏(し)が言う(いう)のは、グラウンドに立っ(たっ)たときはプロの仕事(しごと)をしろ、ということ。「仕事(しごと)の場(ば)において個人(こじん)の利己的(りこてき)な感情(かんじょう)を出す(だす)のは、完全(かんぜん)に失格(しっかく)です」確かに(たしかに)グラウンド外(がい)でのことをグラウンド内(ない)に持ち込む(もちこむ)ことはあってはならないことですよね。この監督(かんとく)の理念(りねん)にはしっかり筋(すじ)が通っ(かよっ)ていますし、そういった意味(いみ)でやはり本当(ほんとう)にいい監督(かんとく)だなと思い(おもい)ます。

岡田武史

過去に監督として様々な偉業を成し遂げてきた岡田武史氏ですが、その監督としての指導理念というものが気になります。

岡田武史